大和神社 (行者堂)案内
所在地 新田郡尾島町大字出塚字木村六十四番地ノ一
祭神 役行者 疫病除け・子育ての神
もと長福寺の境内にあったもので、役行者(えんのぎょうじゃ)の像を安置する。
役行者は役君小角・役小角・役の優婆塞・神変大菩薩などとも呼ばれ、
奈良時代初期の山岳呪術者で、修験道の祖とされる。
僧衣をまとい、頭巾をかぶり、右手に錫杖、左手に経巻を持ち、
足には一本歯の高下駄をはき、左右には前鬼・後鬼という二体の鬼を従者として伴う。
寛平年間、大和から来た僧が、この像を背負って長福寺に入ったという。
その後文化12年(1815)、徳川から発した大火災で長福寺は全焼し、
この像も半焼となったものを火中から搬出した。
そこで村民相談の結果、新たに同じ像一体を彫刻させ、半焼の古い像は
御隠居様と呼んで、別に厨子に保存し、現在にいたっている。
行者堂は、もと現在地より南西約50メートルの地にあり、
茅葺の東向き建物だったが、明治29年(1896)いまの堂が
南向きに建てかえられ、さらに昭和14年(1939)もと楊伝寺敷地である現在地に
移築された。この際、大和から運ばれた像に由来するところから、
大和神社と呼ばれるようになったが、村民の間では古くから行者堂、
行者様の名で通っている。
祭日 7月1日 八丁〆
8月6~7日 夏祭り
八丁〆は珍しい祭りで、竹縄(若竹を薄く割り、より合わせた縄)を輪にして、
中央に修験者が坐り、般若心経を唱えながら太鼓を打つ。
村人はそれを囲んで竹縄の輪を左に回しながら「ナイダー、ナイダー」と唱えて
三まわりし、一同総立ちになる。つぎに竹縄を柱の角で、
「ナイダー、ナイダー」と唱えながら交互に引き合い、摩擦して短く切る。
その切れはしを各戸に一片ずつ持帰り、それを輪にして入り口や床の間にかけ、
疫病除けのお守りとする。
疫病にかかって高熱が出た時、これを煎じて飲むとふしぎに熱が下がるという。
竹は本来、漢方の解熱剤でもある。
8月6日の宵祭りは、かつては大変な人出でにぎわい、
7日には御輿が各戸を巡って、疫病除けを願ったものである。
平成三年三月吉日